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しまだ見聞録

 住宅、建築などを中心とした趣味の日記です。(しまだ建築設計室 メールはコチラへ→ smd_i@yahoo.co.jp HPはコチラです→http://shimadesign.web.fc2.com/)

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2007.12
31
CM:0

00:26
Category : 日記
年末に神様と先祖に感謝を込めて、神棚とお墓を綺麗に掃除しました。
すっきりとした気分で年始を迎えれます。

神棚のお札の位置に上下関係があることを初めて知りました。
三社造の宮形では中央が最上位で、そこに天照大神の大麻をおく。
向かって右が第二位で氏神のお札。向かって左にその他の神社のお札だが、
特別な思い入れがない限りまつらないほうがよい。
という具合です。
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2007.12
28
CM:0

17:38
Category : 建築
itamizyunzo.jpg

松山講座準備のため、クリスマス前にまた松山に行ってました。
徳島からだと高速バスで3時間。結構遠いです。
打合せ前に松山市駅から伊予鉄バスに乗り伊丹十三記念館に寄りました。

伊丹十三といえば「マルサの女」ぐらいしかイメージがなかったのですが、
俳優や商業デザイナーなど多彩な才能を持たれている方でした。
館長は妻である女優の宮本信子さんです。

建物の設計はレミングハウス(中村好文氏)で、
焼き杉の外壁とアルミのすっきりした屋根の箱形のシンプルな形をしてました。
内部には大きな中庭+回廊もあります。

建物の大きさの割には公開されている展示スペースは少なかったのは残念でしたが、
十三にちなんで13種類の展示スペースがあって、それぞれ仕上げを
変えていたのでたくさんの素材感が楽しめました。
レバーを回すと長い反物状の展示物がぐるぐる回る、
おもしろい仕掛けのモノもありました。

↓伊丹十三記念館 URL
http://www.itami-kinenkan.jp/
2007.12
21
CM:2

00:25
S:mokei.jpg

我が家+事務所のプランとイメージ模型(案)がやっとできました。
当初4月頃着工と考えてましたが、
図面もまったく出来てない今現在。状況としてはカナリ日がありません。

少し前までは、駐車スペース、使い勝手などの関係から
鉄骨造か木造か迷っていましたが、やっぱり木造にしようとようやく決まり、
プランを詰めていきました。

敷地条件、要望などを組み込んでいくとこんな感じになりました。
正面右隣に3階建ての建物があるので右側のほうは2階建てにして目線を切るから
ボリューム的にはこんな感じになるだろうと当初から思ってました。
事務所(左側)と住居部分は真ん中のゲートを介して屋根だけは繋がっています。

正面は切妻屋根が段違いで直行しているスッキリとした外観です。
ちいさな中庭があったりします。
屋根の高さや、ゲートの天井高さなどはいろいろ検討しましたので、
バランス的には気に入ってます。

ぱっとみは派手な建物ではないですが、
飽きのこない住み心地の良い建物にして、手を入れて長く愛着をもって
住める家にします。
当然こだわるところはこだわりマス。

まだ悩んでる部分もたくさんありますが、
一つ一つ楽しく、クリアーしていきたいです。
2007.12
17
CM:2

00:22
Category : 未分類
k-kenchi.jpg

以前に友人のブログで教えてもらいました。
遠い記憶もたどりながら考えていきました。

「中学の修学旅行ではどこで泊まったのかな?」
「ジャム勝山はどこだったかな?」
「そういえば前の設計事務所で宮崎に慰安旅行でいった。」
「山梨は清里で休憩したことがあるな。」
「東京で働いていたけど、住んでいたのは神奈川やな。」
「彦根城は何県だろう?」 などなど。

その結果130点でした。

かなり前に建築巡りしたことなども思い出したりして、
記憶が整理できて、楽しめました。

↓ココからどうぞ
http://keiken.uub.jp/
2007.12
12
CM:0

01:31
Category : 建築
shiseido.jpg

善通寺のすぐ南に琴平があります。
金刀比羅宮内に最近できた『神椿』という資生堂パーラーが
やっているカフェにいきました。
表参道を500段上がったところにあるので、けっこう登ります。
(書院からちょっと上がったところです)

普通に登っていたら見過ごしそうな場所です。
壁面の陶板に椿の絵を描いた大きな作品が目を引きます。
2007.12
11
CM:0

01:08
Category : 日記
倉敷からそのまま善通寺に帰りました。

nogidesuku.jpg

善通寺には自衛隊があって、その中に乃木記念館があります。
見学は自由です。

乃木希典(のぎまれすけ/陸軍大将)は日露戦争の英雄とされています。
(軍部の情報操作との意見もあります)
明治天皇の後を追った乃木夫婦の殉死は、当時日本国民に衝撃をあたえました。


先の萩・下関講座では長府の散策がありました。
そこで乃木神社(全国に何カ所かあります)にも行きました。
司馬遼太郎「坂の上の雲」では日露戦争を通して乃木希典は愚将として
描かれてますが、ガイドさんは乃木希典について徹底的に調べていて、
武士道の精神や教育者としても、素晴らしい人物だということでした。
萩博物館の学芸員さんも司馬遼太郎氏は長州人があまり好きではないと思われる
ふしがあるとも言ってました。

見方によって評価は変わるので、ひとつの情報を信用しないで
いろんな角度から見る大切さを教えられました。


ちなみに乃木希典は長州人で吉田松陰の叔父 玉木文之進に教わっています。
奇兵隊にも参加してます。

ちょっと覗くつもりが、旅順の水師営会見の写真など資料がたくさんあり
結構みどころがありました。
最後のほうのには特攻隊の手紙などの遺品がありました。
若いたくさんの命が失われたと思うと切なくなりました。

sensya.jpg

敷地内には戦車やヘリ、戦闘機も展示してました。
2007.12
10
CM:0

12:21
Category : 旅行
週末に倉敷の経営者セミナーで、わが青年塾の塾長が講演するということで、
聴きに行って参りました。

kurasikibikan.jpg

せっかく行ったので、倉敷の美観地区とその周辺の建築を見学してきました。
美観地区は風情のある白壁のまちまみがイイ感じでした。

大原美術館にもいきましたが、エル・グレコやモネなど有名な画家や彫刻家の
作品がたくさんあることに驚きました。
エジプト、中国古代の工芸品などもあったり、
建物自体もいろいろと見所があり、とても良かったです。
2007.12
06
CM:2

14:30
Category : 学び
syouin.jpg
吉田松陰は「安政の大獄」で捕らえられ、わずか30年の命でした。

有名な辞世の句

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」

(自分の肉体は、たとえ関東の地で滅んでしまっても、
志だけはこの世に残す。という凄まじい決意の句)

その熱い想いが、松下村塾の若者たちの心にスイッチを入れて、
志を受け継いだ高杉晋作、桂小五郎などの長州の志士が行動していきます。


今でもさまざまなコトバが残っています。

・「学は人たる所以を学ぶなり」
 勉強とは人間を知り、そのすばらしさを知ることである。
 勉強は自己確立にある。自己は人間であれば、人間はいかにあるべきか、
 いかに生きていくべきかをとことん追求すべきである。
 松陰は儒学を通じて人間追求を徹底した。これが松陰の原点である。
 松陰の思考は原点志向といえる。


人を学ぶことが重要で、
どう生きることが必要だと考え、自分を信じること。

・「志を立てて以て万事の源と為す」
 何事をするにも、たしかな志(自分が目指す人生の目標)を立てることが
 すべての根本である。

何を願ってやるかをハッキリとさせると、やる気がでる。
足元をみて、それを良くする。

・「交わりを択びて以て仁義の行いを輔く」
 志の実現は師友をはじめ、多くの人の支えがあって実現できる。
 平素の交わりが大切である。


一緒に汗をながす。礼儀、規則は簡単にして心をかよわせること。


いまでも萩市の明倫小学校では松陰の教えを毎朝朗唱しているそうです。


日本人は明治以降、欧米化され合理化が進み、心まで合理化されてきました。
戦後の教育で、公の精神、道徳心、宗教心、近代の歴史教育がおざなりになり、
(精神主義だけを強調し戦争に利用された歴史もあります)
自分の損得だけで生きる心のない人間ばかりになっています。

いろいろなコトを知り、学んでいき、実践していく大切さを教えられました。

2007.12
05
CM:0

23:01
Category : 学び
syoukason.jpg
先週末、萩・下関講座に参加してきました。

徳島を朝5時半にでて、ひたすら高速道路を走り、昼前にやっと萩につきました。
「幕末パン」なるものを食べました。

吉田松陰が松下村塾で教えたのは2年ほどといわれてます。
(塾舎は写真のような粗末な小屋)
そこから、幕末、明治をリードする人材が数多く出てきたことは驚きです。
高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋などなど。

初代内閣総理大臣の伊藤博文は農民出身で、松下村塾の近くに
すんでいた。普通の少年だったそうです。

どうして松陰がそこまで影響を与えたというと、
松陰自身が教えを実行してやってみせたからです。

syoukason2.jpg

「自分が、なんとかしなければ!」
と、ただひたすら日本の将来を案じて、我が身の危険を承知で行動してました。
その師の背中をみて、塾生は心を揺さぶられ、
「なんとかしなければ!」
と、気持ちを高め行動していきました。
松陰は塾生たちを「教化」したのではなく、
自分の生き様をみせることで「感化」しました。

吉田松陰の原点は誇りある人間への追求であったと考えられます。
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